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京都竜安寺方丈、茶室蔵六庵の前に石造りの手水鉢「知足の蹲踞」(ちそくのつくばい)と呼ばれるものがあり、「口」の字をそれぞれ重ねて「吾唯知足」(われただたることをしる)と刻まれています。このつくばいは水戸光圀が寄進したと伝えられています。
吾唯足ることを知る(般若心経)。寺伝によると「仏遺教経」の「知足(分に安んじてむさぼらない)の者は、たとえ貧しいといえども富めり、不知足の者は富めりといえども貧し」とある教えをとり入れたものです。
草笛の理念は「吾唯知足」。その精神はのれんにも表現されています。
東信濃には、かつて朝廷に献上する馬を育てる御牧があり、それらの御牧を管理していた人々が、この地方に蕎麦を伝えたといわれています。
この蕎麦を、蕎麦切りにして領民に広めたのは「仙石さん」と親しまれていた小諸城主仙石秀久公です。秀久公は当時、蕎麦切りを媒体にして領民とのコミュニケーションをはかったと言われています。草笛社長中村利勝が仙石秀久の13代目にあたる方と友人であったことから、古文書に記された記述を小諸蕎麦切りの伝統として受け継いだ経緯があります。
草笛は仙石秀久公が伝えた、小諸蕎麦切りの伝統の技を守り続けてきました。
49年前から地産地消を目指し、年々地域にそばの栽培面積を増やして来ましたが、近年さらに浅間山麓の地に栽培地を広げ、自社栽培に取り組む約27ヘクタールの自社専用栽培農場(蕎麦品種:信濃1号)を確保しました。
食べ物は、「ここで採れた物はここで食する」という地産地消が、地の美味しさを産み出し、訪れた方々との出逢いを作ります。
これからも草笛はできる限り自社栽培にこだわり食の安全と安心を目標に取り組んでまいります。